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本:完本 エヴァンゲリオン解読 [Book]


完本 エヴァンゲリオン解読 (静山社文庫)完本 エヴァンゲリオン解読
北村正裕著 静山社文庫刊
 
 
 未更新の期間が長すぎて、サイドバーに広告が載り始めてしまった。そんな訳で今読み終わった本をあわててアップ。

 7/19(月)海の日に長崎市まで行った際に目が止まり、ふと買ってしまった本。5月に文庫化されていたようだけど、佐世保では見なかった。というか見かけていたら買っていた。佐世保で一番大きな「くまざわ書店」でも静山社文庫はほとんど置いていなくて、これ買った後にくまざわ書店で探してみたけど、かわいそうなくらい全然相手にされてなかった。これでは置いてなくて当然か、、、。

 この本は、2001年に三一書房から刊行されたものを改訂、さらに改訂を経て「完本」として静山社から文庫化されたものだそうです。今熱いのは「新世紀ヱヴァンゲリヲン序・破」の方だけど、この本で扱っているのは「旧世紀エヴァンゲリオン」。具体的に言うとTVシリーズから映画で公開になった新25話・最終話の「THE END OF EVANGELION (Air/まごころを君に)」まで。ここまで公開されてきたモノからこの世界をどう理屈づけるのか?ということをかなりディープに書き記しています。これはかなり・かなり面白かった。TV版もだいたい記憶しているつもりだったけど、ほとんど流しながら観ていたのだなぁと、つくづく思います。これを書いた北村正裕さんによると、「エヴァには無駄なセリフは何もない」のだと。聞き流してしまっていたセリフの意味を解釈していくと、意外とものすごいことを言っていたりして、そしてきちんと世界がつながるんですよ。この本を読んだら再度TV版をチェックしたくなること受けあい。そして、p.38「使徒と補完をめぐる関係チャート」、これすらきちんと把握していなかった、、、「あー、そうだよね」と。本の中でもかなりショックだったのが、零号機と鈴原トウジの乗った3号機のコアの話。

 第17使徒の渚カヲル、あのアダムの魂が入っていた「人工使徒」という、他の使徒とは決定的に違う点。旧世紀エヴァンゲリオンでは敢えて死を選び、リリスから生まれた人類に未来を譲った形になるけれど、今映画が続いている新世紀ヱヴァンゲリヲンの方では、カヲルが主導権を握って、人類は死滅というストーリーになるのだろうなという気がしてきました。今回の映画の補完はおそらく、シンジの意思でなく、ゼーレサイドの意思。人類が生き残るのなら前映画と同じ結末になってしまうのですよね。映画・破の最後「今度こそ君だけは幸せにしてみせるよ」の意味が、「死滅させて楽な世界に連れていってあげる」なのではないかと。素人が思いつく単純なストーリーではないと思うのですが、何かそんな気がしてきました。

 しかし、今回の映画のシリーズは、本で書かれている旧世紀の理屈が通用しないところがあるんですよね、、、著者の北村正裕さんはどう解釈するのか?楽しみなところであります。



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本:断捨離 [Book]

 
新・片づけ術「断捨離」 このGW中の一つの目標が、家の中を整理すること(わが家の「事業仕分け」)。とにかくウチは物が多い。かなりガチャガチャしていて、整理しようとしてもどこをどうやったらいいのか?整理してもなんかキレイになった気がしない。うーむ、どうしよう、、、と半分諦めて放置プレイで早数年、、、。ある日、新聞一面下に「断捨離」という究極の片づけ術という広告をみつけました。

 かなり昔に、本:「捨てる技術」を買ったけれど、読んでかなり頭にきた記憶があります。今そうやって物を捨てられずにいるけれど、あなたが死んだらそのモノは全部ゴミになる。みたいなことでシメてあって、「なんだそれ?」と。死んだらゴミなんだから、そんなモノにせっせとお金使わなくていい、「あなたが必要だと思っているものはゴミ」、究極「楽しみや心動かされるモノも他の人からは必要ないもの、お金を使って吸収するものも全部ムダ」と、人生の楽しみを全否定された気がして、読み終わった後で「なんだよ!!」と本を投げた記憶があるのです。

 今回の「断捨離」は、広告で何を書いてあったかはっきりとは忘れたけど、かなりぐぐっとくる印象。「これはイケるかもしれない」と早速購入して読み進めましたが、かなりの説得力。なるほど、そうなのか!とストンと気持ちに落ちたのでした。断捨離の考え方では、「今そのモノと自分とは生きた関係なのか?」ということ。なるほど、本の中を読むとモノに対する見方がゴロッと変わる。その見方で部屋の中を見渡すと「あ、あれもいらない。これもいらない。」と。引き出しの中に詰まっていたものも、結局ずっと使っていないのだから、これから先も必要はないということ。今の自分とは生きた関係でないので捨てても何も困らない。思い出があったりしてそれでも捨てられないのは、愛着ではなくて執着だと書いてあります。

 今日は妻と部屋のほんの一部分だけ「断捨離」実行しましたが、妻も一緒に「かなり気持ちいい!」と。これでもか!というくらいシンプルになりました。しかしまぁ、ほんの一区画なのにものすごい量のゴミ。こんなゴミのためにエネルギーやスペースを使っていたのか、、、と驚きます。でもこれだけ減って生活に困るという印象は残りません。だって今まで全然使わなくて動かなかった必要のないモノたちだから。

 家の中全部するのはかなり時間かかるけど、これはかなりいいです。こんな片づけ論があったのかと。もっと早く出会っていればよかった。明日は朝早くからまた断捨離の予定で、GW中に一気にケリをつけたいです。
 
 

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本:The Road [Book]

 
ザ・ロード早川書房刊 コーマック・マッカーシー著
The Road

 いつか読んでみようと思っていた「The Road」。2008年夏の新聞書評でもかなりいい評価で、忘れないようにと切り抜いてました。図書館にこの本があるのはわかっていたけれど、なかなかスイッチが入らず。あの遠回しな文体が受け入れられず、基本は「翻訳モノは読まない」のです。この本も、翻訳のせいか?イメージが湧きにくいところがあるので、そこを読むのはかなり面倒でしたね。

 年末25日のWIRED VISIONメールでこのThe Roadのことが。米では11月25日からすでに映画が公開されているんですね。この記事を読んだら一気にスイッチが入ってしまったのです。しかし、このメールに気づいた時にはすでに図書館は年末営業は終了(泣)。まず借りて読んでみて、良かったら買おうかと思ったけど、、、年末ゆっくり楽しみたかったので買いました。
 
 
  現実の隣にある「崩壊世界」:映画『ザ・ロード』画像集 | WIRED VISION
  http://wiredvision.jp/news/200912/2009122520.html
 
 
 コーマック・マッカーシーは、コーエン兄弟の映画「ノー・カントリー」の原作者。さすがアカデミー賞4冠をとるだけあって、終わった後の気持ちの引っ張り方がすごかったけれど、The Roadも同じ。さすが、すごすぎる。ストーリーだけ書けば、ノーカントリーは「お金を持ち去り殺し屋に追われる話」、The Roadは「すべてが崩壊した世界で、父と子が南へ移動する話」。しかし、The Roadの荒廃してしまった世界の緊張感たるや半端ではない。映画はR指定らしいけれどそれはあるかもしれない。そんな中であっても、純粋な子どもと、子どもを守ることに全力を傾け旅を続ける父親。だが、この世界で明るい未来はない。ここにあるのは遅いか早いかの「死」。安らかな死など存在しない世界。その圧倒的な緊張感がラスト10ページで一気に集約されるのですよ。

 日本での映画公開が楽しみ。
 
  
 (1/12追記) 1/11朝日新聞 GLOBE に 「09年11月24日付The Times紙より  UK 過去10年間のベストブックス10冊」という記事が載ってました。1位がThe Road、希有な感動をもたらす小説であると。「読了後、おもわず子供部屋へ行って就寝中の息子を抱きしめてしまった。そういう趣旨の感想文が世界のあちこちから届いたらしい。」と書かれてありました。
 
 
 
 
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本:禁断の楽園 ヤマギシ会という悲劇 [Book]


sennouno.jpg宝島社文庫刊 米本和弘著
<増補・改訂版>洗脳の楽園 ヤマギシ会という悲劇

 著者はこの本で、97年の日本ジャーナリズム賞を受賞しています。1Q84の青豆と天吾が2巻目で対峙するであろう、「カルト教団になってしまった農業コミューン:さきがけ」のモデルはおそらくこの「ヤマギシ会」。様々な事件や報道により今現在はもう活動自体のピークを超えてしまっているようだけれども、1984年の時点ではかなり勢力を拡大していた頃だと思う。ヤマギシ会とはこんなところというのを書いておきます。

***

 ヤマギシ会は集団農場を、ヤマギシズムを実際に顕した地という意味で「実顕地(じっけんち)」と呼ぶ。ヤマギシ会はヤマギシズムをもとに世界を<無所有一体>の理想社会に塗り替え、世界中の人を幸福にしたいと願っている。「実顕地」はその拠点であり、理想社会のモデル村。「人間が幸福に生きて育つ環境として最適」である<ヤマギシズム社会>を実現した空間なのだと。

 これがヤマギシ会の表立ったタテマエ。


 ヤマギシズムを一口で言えば原始共産主義だというが、原始共産主義と違うところもある。それは、ヤマギシ村が自己完結型の生活体ではなく、世界をヤマギシ村に塗り替えようとする運動体だという点。そのために土地を次々と買い占め「実顕地」の数を広げようとしている。妻が「ヤマギシは長崎にもあるんだよ」と言っていたけど、本の中に長崎県西海実顕地の名前が出て来ました。おそろしい。

 ヤマギシ会に参画するためには、まず7泊8日の「特別講習研鑽会(特講)」に参加しなくてはいけない。これが絶対条件。7泊8日の期間中、数々の研鑽会で解答なき問い執拗に繰り返すことによって自我を揺さぶり、要所要所に挟んだテキストの輪読で理想社会のイメージを注入する。それを絵やビデオの観賞でより強固にし、最後の総仕上げとしてイメージと現実を脳の中で統合させるために村訪問を行う。

 「自他一体の理が根本原理であることを体得する」これが特講の目標。特講の仕掛けにより短期間に解離状態にさせ(脳を洗うという)、自己と他者とを区別する境界を失わせる。やっていることは一般的にカルト教団が用いるマインドコントロールと同じ方法。ヤマギシ会では<我執がない>状態を要求されるが、我執が生まれるのは「自我」があるからであり、「自我」がなくなればロボット人間と同じことになる。一度重い解離状態を経験した人は解離を繰り返しやすい。それは何年経とうが関係がない。特講とは、脳のワーキングメモリをパンクさせるのと同義語であり、パンクし弾けた時には前頭連合野にはドーパミンが急激に増えている。メモリが疲弊している時は極端に少なかったドーパミンが一挙に放出され、これは統合失調症の患者の脳と一緒の状態。メモリがパンクした時には、すでに前頭連合野が壊れているので、情報が海馬や扁桃体(脳の古い機能)に飛び込んで焼き付くという。

 特講後に参画する際には、有形無形すべてのあらゆる財産権利をヤマギシ会に委任する参画誓約書を書かされる。しかし、<無所有一体>の理想社会とするヤマギシ会の実態は、<無我執>をテコとした村の息苦しい程の管理体制。それに耐えられず離村するということは、我執を捨てきれなかった人、暗黒社会の影響を脱しきれなかった人となる。当然ながら村人が持ち込んだ財産は返還しないことは参画誓約書に書かれている。

***

 さぁ果たして、2巻目で青豆と天吾は「さきがけ」にどう踏み込んでいくのでしょうか?楽しみなところです。




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本:1Q84 - BOOK1<7月-9月> [Book]


1Q84 BOOK 1 1巻読み終えてます。これは面白い!読んでいる間、何度もふと時間を忘れている自分がいました。なかなかここまで集中して入り込む小説はなく、バカ売れするのもわかります。村上春樹というと私の中では「ノルウェイの森」とか「ダンス・ダンス・ダンス」「ねじまき鳥クロニクル 」で、どちらかというと読みたくない系の作家。ウチにあるのは「アンダーグラウンド」「約束された場所で―underground 2」のノンフィクション2冊。だけど本棚に並んでいるだけで、どちらも未読です。

 1Q84(1・2)を買ったのは先月5月29日(金)。その日ふとTSUTAYAに行ったら置いてあったんですよね、「あー、村上春樹の新作か」ぐらいにしか思ってなかったんですが、ウチに帰ってネットで見たら実は発売前に4刷67万部に達していると。題材がカルトだということもあって、これはイケる。おそらく早々に店から消えるだろうと思い、明日早朝から東京行きでしたが閉店間近の23:45頃、車とばして買いに行きました。案の定佐世保からは一時消えてましたね。しかし、そろそろ店頭にまた並び始めているみたいです。

 TVでも話題になっているので、読んでいると「どういう話?」と聞かれるのですが、これがまた何て言っていいか難しい(笑)。核となるのはカルト教団に変わってしまった農業コミューンなんだろうけれど、女性:青豆と男性:天吾の切り口から世界を繋いでいくと、実際、青豆と天吾のいる世界は同一線上なのか?というのも謎。同一線上でなく別世界(パラレルワールド)となるとSFチックな要素も絡んでくるし、、、とか。1巻読み終えた状況では、なんとも一言で言い表せない状況です。しかし、面白い!

 「カルト教団に変わってしまった農業コミューン:さきがけ」これって「ヤマギシ会」がモデルだよね。1999年に宝島社文庫から出版された、米本和弘著「<増補・改訂版> 洗脳の楽園 ヤマギシ会という悲劇」。これをもう1度読み直してから1Q84の2巻目に行こうと。このヤマギシ会の本は買った当時1/3くらいまで読んでやめてしまっていたんですよね。ある意味カルトなんで今年3月に集中してカルト系の本を読んでいた時、これも再読しようかな?と思いながら、「ま、そのうちまた記事にする機会もあるさ?」とやめていたのでした。ここで書かないといつ書く?というくらいジャストミートなので、次はこの本で(読了してます)。
 
 
 

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本:LIFE - なんでもない日、おめでとう!のごはん - [Book]


LIFE なんでもない日、おめでとう!のごはん。
LIFE - なんでもない日、おめでとう!のごはん -
飯島 奈美 著 ほぼ日刊イトイ新聞 編集 ほぼ日ブックス刊

 Amazonから:「かもめ食堂」のフードスタイリスト飯島奈美がおくる、ほんとうにおいしい22のレシピ。みんながいちばん食べたいものでとても具体的な本をつくりました。

 先日、昼間にお茶しにアルジャーノン(夜はBarなんだけど)へ行った時、「かもめ食堂のレシピでシナモンロールを作ってみたから」と一個いただきました。これがすこぶるおいしかった。映画:かもめ食堂 を観た人は皆「あー、あの料理が食べたい!!!!」と思うはず(映画:めがね も)。そこに出てくる料理はどれもよだれが出る程おいしそうに見えるのですよね。で、そのレシピで作られたシナモンロールなら絶対に美味しいはず、実際ホントに美味しかった。どうやって作ったのか聞くと、ネットにそのレシピが出ているのだそうです。

 ふとAmazonを見ていたらたまたま表に出て来た本がこのLIFE、サイト「ほぼ日刊イトイ新聞」に連載されていて、それを編集して出しているみたいです。この本が狙っているのは、皆の頭の中にある最大公約数のイメージにどれだけ近づけるかなんでしょうね。簡単に言うと「王道」、そこにははずせないポイントがあって、そこをきちっと押さえているのでしょう。「ネットにあるから」と安心していたらそのコンテンツが急に削除なんてこともあるはず。本で買っておくのが一番安心です。妻に買っていいか確認して、速攻頼みました。

  ほぼ日刊イトイ新聞:http://www.1101.com/life_iijima/
 
 
 本は、糸井重里さんが上手に作るためのコツを本編の前に「はじめに、ちょっと」という項目で書かれてます。それは、、、

  ・まずは、じぶんなりの工夫なんかもやめて、レシピのままつくってみてください。
  ・自分と、好きな人につくって、いっしょに食べてください。

 こつは、このふたつ。これだけだと。ナポリタンやホットケーキ、オムライスなど、ごく普通の料理のレシピが書いてありますが、飽きずにまた食べたくなる調理なのだそうです。ホットケーキなんかも市販のミックス粉を使うのでなく小麦粉とベーキングパウダーを使います。逆に手間とかお金がかかるのかもしれないけれど、本当にオイシイものは手抜きで作れないはず。実はこの本を買ってからかなり時間が経つのだけどまだ一つも作ってません(笑)。佐世保に来て初めてのGW5連休、その間にのんびり作ってみることとします。
 
 
 
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本:軍艦島 全景 [Book]


軍艦島 全景軍艦島 全景
オープロジェクト著 三才ブックス刊

 今月22日から上陸がスタートする軍艦島。世界遺産に向けての国内暫定リスト入りが決まり、長崎では以前と比べて注目度アップです。この写真集は佐世保市内のどこの本屋に行っても必ずと言っていいほど置いてあるけど、他県ではどうなのでしょう??

 廃虚マニア向けみたいなこういうマイノリティの書籍は、なかなか部数が出ないのか、どうしても大手でなく、どこか手作り感アリアリの形になりがちの気がしますが、この「軍艦島 全景」は非常に丁寧に作られていて高級感もある。今回始まる軍艦島上陸の際はルートが決まっていてそれ以外の場所には行けないけれども、この本は建物と地図とを示してありガイドマップとしても通用します。欲しいなとは思っていたけど、なかなか手が出ずにいて、図書券をもらってまず考えたのがこの本でした(購入しました)。

 以前私がやっていたブログ(今は全撤去)でも軍艦島のことを何度か書いてます。2005年4月に出た後藤惠之輔・坂本道徳著 長崎新聞社刊「軍艦島の遺産―風化する近代日本の象徴」を読んで、

***

 ーー なんか私の中で引っ掛かるんですよ、世界遺産になるものなのか?と。確かに日本初の鉄筋コンクリート建造物とユニバーサルデザイン、屋上緑化、海底水道など、日本の近代化の象徴なのかもしれないけど、企業効率を上げるための必然性であって、そこに文化的価値を見い出すところと私は結びつかないのです。日本は概して近代文化に価値を見いださないように思うので、諸外国から見たらまた違うのかもしれません。 実際、産業遺構でも世界遺産に登録されて文化的価値を見いだされているものもあります。2003年には世界遺産委員会のドイツ代表の博士が軍艦島を見て、世界遺産登録は可能との見方をしているそうです。

 なんか、世界遺産の存在価値って見て、触れて先人の意志を感じるところだと思うのだけど、軍艦島は遠くから眺めることしかできず、そばにあっても関わりのなかった人から見たら縁遠い存在なんじゃないかと。また、このままだと遅かれ早かれすべて崩壊してしまう運命だけど、崩壊してしまうからといってすべてガッチリ修復してしまうのも違うと思うし...

 なんだかんだ言って、世界遺産に登録されたとしたら、「あぁ、世界的には価値があると評価されているんだ」とコロッと考えが変ってしまうかもしれません。
 そんな人間なんです、はい。ーー
 
***
 
 と書いてます。その時は「えー?世界遺産??」と思っていたけど、今は「いいんじゃない、世界遺産」という感じです(笑)。上の記事を書いている時はまだ「上陸の可能性を検討中」遠くから眺めるしかないというところで書いているのもあるのだけど。今回ツアーで上陸できる可能性としては、年間100日とみているらしいです。天候と波の状況で、晴れているからといって出港できる訳ではないのですよね、、、。3日に1日行ければヨシというのは、かなりギャンブルに近いのでは?その中から写真映えする晴れた日というとまた限られるんですよねぇ、、、。事前に予約して行くはずなので、急に行けないというのもね。佐世保からでもどうする?という感じなのに、県外から宿おさえて来る人なんかもっとヒヤヒヤですよ。
 
 
 




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本:キュア [Book]


キュア cureキュア
田口ランディ著 朝日新聞社刊

丁度1年前、2008年3月23日の西日本新聞にこの本の書評が載ってました。この書評で私の読みたい本の暫定リスト入り。だけどなかなかスイッチが入らず、手にとるまで時間がかかってしまいました。図書館で借りてきたけど、この本はまたすばらしく良かった。読み終わる前にどうしても欲しくなってネットのAmazonへ。しかし、中古もかなり値が高くて、送料も考えると新刊で買っても変わらない。もらった図書券があるので書店で購入。

 どう生き、どう死ぬか?この本のテーマは癌。西日本新聞の書評の最後「(前略)、もし癌になった場合の治療方法はどうしたいか、いつかはやってくるであろう死に対し、どう向き合うべきか、魂をどう救済したいかーなどというヘビーなテーマに、立ち向かわざるを得ない。肉体も精神も、元気なうちに読んでおきたい一冊である。」と書かれてます。細胞は常にガン化し、免疫系がそれをつぶす。そのバランスであって、人間は遅かれ早かれ癌になる。癌になって死ぬか、癌になる前に死んでしまうかのどちらか。現代の医療現場の切除と放射線、抗がん剤の投与。切除・放射線が与える体への負担。ガン化していても自分の細胞、抗がん剤が効くということは自分の細胞全部にダメージを与えること。実際よくわかっていないガンに対しての現代医療のとる立場。散々切って投与して、慢性期や終末期になると「治療の可能性がない」という名目で相手にされない。かと言って「ガンは環境によって生まれてくる」と言って今までの人生を捨てて生き方を変えれば治るのか?実際に奇跡のようにガンがなくなってしまった人も知っているけれど、それも本来ガンに対抗する手段として有効なのか?何がいいのか、ついどこか自分の傾いている方にもっていきたくなるのだろうけど、主人公(著者)はどこにも加担しない。私たちにどう考えるのか提示するだけ。

 ただ、中に書かれていたけれどこれは真実だなと思ったのが、ガンになると人が自分に対して見る見方が変わる。自分も世界の見方が変わる。ガンにならないと見えない世界があるということです。その中の不幸もあれば幸せもある。そして、祈っても無駄、治してもらうでなく、生き抜くという意志のある者だけが生き抜けるのだと。当り前なのかもしれないけど、生きると思わない人は生きられない。それだけのモノを癌は持ってくるということです。

 誰もがなる可能性がある癌について考える一冊。おすすめ、読んで。
 
 
 
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本:できればムカつかずに生きたい [Book]


できればムカつかずに生きたいできればムカつかずに生きたい
田口ランディ著 晶文社刊

 記事を書こう、書こう、と思いながらのびているのが数冊分、この本も3月下旬に図書館から借りてきて、読後に「これはいい!」とAmazonで中古を注文までしておきながら、何が良かったのか?何を思って記事を書かねば!と思ったのか忘れてしまってます。

 田口ランディさんの本は「コンセント」「アンテナ」「モザイク」の3部作を読んだきり。ちょっとクレイジーな匂いもさせる独特の世界観が、ダメという人もいるだろうけど、丁度この日に図書館に行った時は「今はこの人しかいない」という程ぴったりとはまったのです。本当は「キュア」を借りたかったけど貸し出し中。なので、この人の書籍を数冊借りてきました(どれかハズレても、どれかは当たるだろうと)。他のエッセイも借りたが、この本がずば抜けて良かった。

 この著者、盗作が発覚したなど言われているようけど、私はあまり気にせずに読んでます。そうだとしても書いている文章の表現力や説得力はすばらしい。17歳の頃にこの本を読んでいれば相当な刺激を受けたはず。今読んでも「あー、なるほど」と思うことしきり。この歳になっているからかもしれないけれど、相当いろいろな気づきを与えてくれます。いやーでもその歳にこの本は1度読みたかった、、、。高校生、少し背伸びかもしれないけど、この本読んでおいて損ないです。

 若い頃は思考が浅かったり、渦中にあって冷静に外から全体を見ることができなかったりで、なんか腑に落ちないままモンモンと生きるけれど、若者の時代を過ぎてからその時にわからなかった意味について咀嚼を始める。苦労や苦い経験などの糧を若い時に貯めてない人は、後になって薄っぺたい人間にしかならず、そのフィードバックが人間的な深みをつくっていくのだなぁと。

 もうすでに読んでから時間が経ってしまっているので、何をそんなに「うおー」と思っていたのか?その熱をうまく表現できません。もったいないことをした、、、。すでに傑作「キュア」の方も読んでいます。熱が下がってしまう前にそっちも書かないと。
 
 
 
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本:マインド・レイプ [Book]


マインド・レイプ―自己啓発セミナーの危険な素顔 ドキュメントマインド・レイプ 自己啓発セミナーの危険な素顔
塩谷智美著 三一書房刊

 最近まとまって読んでいる自己啓発セミナー系の本、これは図書館から借りてきました。この本の初版は1997年、小口(背表紙と反対の、めくる側)がだいぶ手垢で汚れていて、かなり読まれている本だと。今まで読んできたこれ系の本は、どちらかというと取材として中に入っても「自分はその団体から離れている」立場で書いているような感じでしたが、この本を書いた動機が「自分に近い人が巻き込まれたか、自分も含め巻き込まれそうになった」のではないかと(これを書く時点では、もう本を返してしまったので)。初心者向けかもしれませんが、文章は読みやすく良い本です。

 自己啓発セミナーにのめり込ませるためのマインド・コントロールを、この著者はマインド・レイプという言葉でいっています。「マインド・レイプとは、密閉された室内において、主導権を持つトレーナーの目に見えない強制力により自己の秘密を告白させられることである。この室内でまわりの参加者たちは、みんな素直で正直になっている。依怙地になっている自分だけがおかしいのではないか。そう思ったとき、心のドアのノブに手がかかる。心のドアがわずかに開いた瞬間、密室のリーダーの鋭い言葉が、心の奥に素早く侵入してくる。そうなっても本人は、その場から逃げることはできない。抵抗すると、激しい言葉によって罵倒される。まもなく、大勢のセミナーの参加者が見守る中、自分の心の奥にしまっておいた秘密が、リーダーによってさらけ出される。」こうなると、セミナーにいるときの自分が本当の自分と思い込み、自分をわかってくれたセミナー会社のために勧誘活動に奔走するようになる。洗脳され、自分のポジションを上げるために勧誘活動を行う「マルチまがい商法」、先日屋根裏をごそごそしていた時に出て来た雑誌、至文社刊 現代のエスプリNo.325 1994年8月号「特集:悪質商法」に書かれていたのが、「マルチの組織により、1日に2人を勧誘すると上位ランクに昇格するとすれば、28日目には1億3421万728人となり(ネズミ算式マルチ)、日本の人口をはるかに超えてしまうこととなり、リクルートの有限性(組織が拡大すれは、新規加盟者を勧誘することが不可能となる。)は数字の上からも明らかである。」と。これ見たらマルチの組織なんて早々に破綻ですよね。

 後半書かれていた、食事と睡眠を減らして、ひたすら椅子に座りつづけ精神や肉体を追い込んでいく「瞑想型セミナー」の場合、思考力も劣ってくるからトレーナーの言う通りにした方が参加者にとっては楽、受講者をコントロールするのは訳ないのです。南山短期大学人間関係科の津村俊充教授は、「セミナー会社のセミナーは、一人のトレーナーが参加者全員を、あらかじめ決められた一つの方向に導いているだけです。自己啓発と言われていても、そこからは何の自分らしさ、個性や主体性が生み出されることはありません」。すでにこの本がかかれた当時(1997年)では、セミナーという言葉で敬遠され、「コース」など他の名称をプログラムにつけて、「自己啓発セミナーとは関係なく、全く新しい "コース" と呼ばれるものだ」と宣伝していると書かれてます。次から次に一歩先を見て変化するだろうから、今はどうやっているのだろう?

 書かれていたことで「そうなの?」と思ったのが、勧誘を身内や友人、職場の同僚などにするのは、親しいほどどんな悩みがあるのか認識しているのと、友人・家族・血縁者などの紹介によってセミナーに申し込んだ場合は、訪問販売法の適用にならないから。適用にならないということは、クーリングオフも使うことができないということ。なるほどね、よく考えてある。そして、運悪く入ってしまい、そういったセミナーカルトから脱会した人たちは、その組織のことを完全に忘れるまで、自分が在籍していた期間の四倍の年月がかかるそうです。
 
 
 

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本:ワンダーゾーン [Book]


ワンダーゾーン「ワンダーゾーン」
福本博文著 文藝春秋刊

 前に記事書いた本「心をあやつる男たち」(記事ここ)に触発されて、Amazonマーケットプレイスにて81円で購入(送料が340円必ずかかるので、合計は421円)。読了。前読んだ本が時間軸に添って歴史を綴っていたけれど、こちらは人々の依存心につけこむ、あやしい団体9つを取材した記事。

 「高原の心理実験室」・・・ 1988年、清里で行われた立教大学キリスト教教育研究所での研修会(実験室訓練)の話。こういった自己啓発セミナー研修会は、1958年に牧師の再教育を目的としてアメリカから上陸。高度経済成長期には、企業に勤める管理職の精神を鍛え上げる「猛烈特訓」に豹変し、人格の変容を迫るその特訓からは、精神に異常を来す者や死者を出したこともある。どういった形で自我崩壊へと進ませるのか、その手順がわかります。自己を深くまで他者にさらけ出すためダメージも大きいけれど、そこまで深く自分を理解してもらうことで、このセミナーに居場所を求める人が実際いるらしい。キーワードは「癒し」、この流れが各種の民間療法を誕生させていったようです。今誰もが聞いたことのある「スピリチュアル」、これもどこか自己啓発とか精神世界などの心を扱う部分で同じような匂いがするのは私だけ?

 「地下室の催眠セミナー」・・・ セミナーを受けてメンタルトレーニング法を体得すれば、潜在能力を開発することができるという「自己超越成功セミナー」、主催者の小林充が書いた「プラス・イメージ成功法」三恵書房刊には、元巨人軍の桑田真澄と原辰徳の推薦文が載っているらしい。しかし高額なセミナー費用を払っても、やっていることは、ただプラスイメージを描けっていうことだけ。しかし単に「あーぁ、失敗した」では終わらない。マルチ商法も取り入れているので、本当の価値は先に進まないと習得できないというシステムで、今までつぎ込んだ大金は入り口にも立っていないことを知らされる。

 マルチ商法の勧誘で書かれていたこと「世の中には、簡単に騙されてしまう人間が、少なくとも60万人はいるんですよ。同じ手口の悪徳商法でも、社名が変わっただけで、何度でも騙されてしまう。実は、そういう被害者の名簿が高額で取引されているんです」この本で書かれていることを知っているのと知らないのでは大きな違いがあると思う。

 さらに、マインド・コントロールの方法として「三日間狭い部屋に閉じ込めて、一睡もさせなかった。すると、自然に集団催眠のような状態になり、面白いほど教育の効果が上がったという。さらに食事を摂らせないと、血糖値が下がって、思考力が劣ってくるから、受講者をコントロールする最高の条件が揃うわけです。」と。

 「生命水「πウォーター」の謎」・・・ 現代科学では解明できない不思議な現象を引き起こす魔法の水、エイズウィルスが死滅し、ガン細胞の増殖も抑え、白血病、肝硬変なども治る。医者も密かに使っているらしい、、、。この本では「もはや信仰の対象になっていると言ってよい。」と書かれてます。一つの宗教と同じで、思い込まないとできないと。

 実際関わったことはないけれど、ある時そんな話が私の周りに近寄ってきたことがあって、おそらくそれはこのπウォーターだったのではないか?(未確認)と、この章を読んで思ったのです。その時の私の主張では「そんなに必ず効果のある水ならば、世の中に知られていてもいいはずで、医療の面で普通に使われていていいはずだ!!知られていないということはそれなりのモノなんだ!!」と。ただ、もう宗教と同じなので理屈を言っても全く通じず平行線。普通に考えればどう考えてもオカシイと思うはずなのだけど。結局関わることはなく収束しました。この章にも書かれてたけど、この手の団体は少しでも関わればドロ沼になるはずなので、関わらなくてよかったと思いました。

 つい先日、佐世保市須田尾町?の通り添いに「生命水 πウォーター」のペンキのはげかかった古めかしい看板があるのに気がついたんですよね、、、なんかちょっとショックでした。
 
 
 
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本:すごい本屋! [Book]

すごい本屋!「すごい本屋!」
井原 万見子著 朝日新聞社刊

 2009年3月8日(日)朝日新聞読書欄に載っていて速攻注文しました。読了。載った前日土曜日から用事で福岡に行っていて、朝に喫茶店で新聞各紙の書評はチェックしたけれど、朝日新聞だけは未でした。見ていれば福岡で買ってきたのだけど、夜にウチで新聞見て「これは欲しい!!」、すぐにネットのAmazonに行ったけど、出荷まで2週間〜5週間(泣)、出遅れた、、、。セブンイレブンやe-honでもかなり待たなければいけない。様々な方法の中で、ウチに届くのが格段に早くて送料がかからなかったのが、出版元の朝日新聞社からネット注文しブックサービスで配送してもらう方法でした。

 朝日新聞書評より:「この本を読むと、とても元気がでる。一言でいって、和歌山県の山の中で、小さな本屋さんが生き生きと頑張っている話なのである。村全体でも人口が2200人、近隣の集落はわずか100人ほどにすぎない。そんな小さな村で書店の経営が成り立つのかと不思議に思える。・・・(中略)・・・ ニーズは本だけに限らない。周囲の小売店がどこも廃業してしまうと、この本屋さんではみそや日常雑貨までも扱う。近所のおばあさんの生命線であり、コミュニティセンターでもある。」

 和歌山県の山の中にある20坪ほどの小さな本屋の名前は「イハラ・ハートショップ」、この書店に対してつけられたキャッチコピー(?)は「周回遅れの最前線」。顔を見知ったお客さんにゆっくり対応したり、競合店のないところが時代遅れのようだけれど、そこには都会の書店が失われた経営があるからです。前に読んでとても力をもらった井野朋也(ベルク店長)著 新宿駅最後の小さなお店ベルク」前記事はここ)、店舗がそこにある状況は真逆だけれどエネルギーは同じものを感じます。喜んでくれることは何なのか?来てくれる人に対して手間ひまを惜しまないこと。そこが原点ですよね。

 本に対して言えることは、中にも書いてありましたが、都会では本の数は多いけれど、その子にとっての一冊に出会うことが難しくなっている。本の数が多ければ単純に出会うチャンスが多いわけでなく、数が少なくても大人がきちんと提供すれば、その中から子どもは選び出すはず。そして、限られた中でもその本との出会いは濃いものになるのではないか?と思うのです。

 ウチは子どもが0歳の時から、長崎市に会社がある絵本の配本サービス「童話館」から毎月2冊づつ絵本を送ってもらっています。この会社の命はそのチョイスの仕方。その年齢に合わせた本をプロの目で選んでくれてます。何も手がかりがなく、ただ本の数が多いという都会こそ、こういうチョイスの仕方が必要なのではないか?とも思うのです。今の時代、情報や物流、物理的距離の差が都会と田舎でそれ程なくなってくると、地理的不利というのも昔ほどなくなってきているのでないかという気がします。そして、本に携わる人々も書店規模の大きい小さいで判断するのでなく、情熱があるイハラ・ハートショップのようなところに力を貸すというところがよかったりするのです。「田舎だから、何もないから」は、いい訳にすぎないのだという気がしてきます。

 載っている写真がまた雰囲気があっていいのですよ。何でかわからないけど、じわーっとくることが何度もありました。和歌山県に行くことがあれば必ず寄ってみたい書店です。私も応援します。
 
 
  イハラ・ハートショップ
  http://www5.ocn.ne.jp/~i-heart/
 
 
 
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本:ほのエロ記 [Book]


ほのエロ記「ほのエロ記」
酒井順子著 角川書店刊

 図書館で棚に返ってくるのをずーーーっと待ってました(笑)。時々著者の酒井順子さんの本を借りてはいましたが、この本は皆興味があるのか?端末で検索かけると常に貸し出し中。だからといって貸し出し予約をしてなるべく早く!必ず!という程ムキになっている訳ではないし、、、。

 絶妙なまでの、ほのかなエロエッセイ。「あ、なるほど」という角度からの視点がこの人の真骨頂、さすが各々の項目についての分析がすばらしい。個人差はあるでしょうが、女性も同じでこんなこと考えているんだな、っていうのが笑いを誘います。この手のエッセイは、エロに対しての自分の考えや感じ方、捉え方をさらけ出し、奥の奥まで明け透けにしてこそ面白くなるジャンル。

 その点で言うと、こっちは小説だけど、奥田 英朗著「ララピポ」もギリギリセーフ(?)。決して「フランス書院」のような成人向けではない。気になるのは、著者は男性なので女性が読んだらどう思うかというところ。これ絶対映画にできないよな、、、と思っていたら映画になった。各章で7人出てくる登場人物の一人、風俗専門のスカウトマンが話の中心らしいので原作とはかなり違った話になるはず。意外とさらっと読める点では「ほのエロ」なのかな?どうだろう?けっこう恥ずかしいところまで書いていたりするので、著者のエロさ加減や行動までもわかってしまうのですよね。

 かなり昔だけど、読んでゲロゲロだったのが、高橋源一郎著「あだると」。これは最低だった。生理的嫌悪感をもたらす文章、下劣な内容、不快以外の何も残らず、著者は何を書きたかったのか何もわからない。元々エロ好きだったようだけど、自分の性の捌け口として散漫に書きなぐったとしか思えない。あなた物書きですよね?これは読む価値なし。

 東京大学教授:上野千鶴子著 学陽書房刊「女遊び」。出版当時は確か社会学者としての肩書きだったと思うけど(ウロ覚え)、最初から女性に関する放送禁止用語の4文字が「これでもか!!!」と必要以上に連発&羅列して出てくるその文章にドン引きしました。今でも覚えてる、東京八重洲ブックセンターの1階でパラパラと立ち読みして「ガーーーン」と頭殴られたような感覚になったのです、「す、すごすぎる、、、」と。失礼だけど、ものすごいクレイジーな匂いが、、、。さすがに買うことができませんね。未だにこれを越える衝撃はないです。
 
 
 
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本:心をあやつる男たち [Book]

 3月第1週目(だったか?)AMラジオで、旧ソ連抑留者の何だかの請求期間が今月末(H21.3月末)までと言ってました。確か、あまりにも適当で実数がよくわからない数十万人の方々が旧ソ連で亡くなっていたはず。政府でも把握できていないものを何とかしたいという制度があったのでしょう。その期日が今月末。そういう公の放送を聞いて、まだ戦後は終わってないんだなと。この放送で頭に浮かんだ本が実話だった、辺見じゅん著「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」。学生の頃買ったけれど、確か最後まで読み終わらずに中断したまま終わったはず。家で本の入っている棚を崩しながら探していたら、ふと目にとまったのが、福本博文著 文春文庫刊「心をあやつる男たち」(文庫:1999年刊、単行本1993年刊)。これもまた読了しなかった記憶があるけれど、この本があったこと自体が頭の片隅にもなかった。昔は買った本は全て覚えていたし、買った本屋やその時の状況も覚えていた。状況が浮かぶということは買った歳もだいたいわかるということ。しかし、今こういうディティールがほとんど失われつつあります。これが歳をとるということなのでしょう。

    --*--*--*--
 
心をあやつる男たち (文春文庫)「心をあやつる男たち」
福本博文著 文春文庫刊

 この本は、実験室訓練だった教育法が産業界へ流れ込み、その流れを組む「教育カルト(自己啓発セミナー)」が台頭してきた過程を一人の男に焦点を当てた話。簡単に言うと自己啓発セミナーは、全く逃げられない状況で、約1週間ほど感受性の訓練という「心理的な拷問」が続き、禅でいう「悟りの境地」、自己を破壊させて組みなおす「チェンジ体験」にまでなんと1週間(!)で到達させる。1週間で「悟り」を開かすために暴力だろうが暴言だろうが監禁だろうがどんなことでもする(実際死人も出た)。寺の老子ですら「私たちが20年も座らなければ到達できない境地を、1週間でおやりになっているとは恐ろしいものですね」と言う。当然自己を破壊されたけれど組みなおせなかった場合は廃人になってしまう(簡単にいうと発狂)。セミナーの一連のプロセス後には、人間的な判断を失った人間に仕上げられてしまうという訳。

 自己啓発セミナーで発狂してしまうのは、真面目で上役の言うことは何でも聞くといった人。出席したくないと言って逃げきれる人、またグループの中で不真面目で逃げきれる人は大丈夫。会社への忠誠心が希薄な人間ほど精神的には健康であるということになる。恐ろしいことに、1970年夏に日経連などが行った調査では、およそ1割の大企業がこういうセミナーを導入していたということ。企業側は、この特訓を難なく通り抜けてこそ管理者の資格があるといった認識があり、このセミナーを「踏み絵」にしていたこと。途中で逃げ出す社員をクビにしたこともあったそう。セミナーでは隠し通していた弱みを見抜かれたり、自分でも気づかなかった重大な問題点を発見することがよく起きる。それらをバネにして強靱な精神力を培うことも企業が導入する狙いのひとつ。しかし、まともな人間となって帰ってくればいいけれど、社会不適応な興奮状態となって終了していたことが多かったように思う。その興奮状態があまり持続しないことがせめてもの救いだけれど(発狂してしまった人は別にして)、本人が受けたいか受けたくないかは関係なく、会社に残りたいのならこれを越えなければいけなかった。終身雇用と言われていた時代にこれは相当キツイものだったはず。この時代に生まれていなくてよかったと思った。しかし巻末の解説でも書かれていたけれど、今でも企業の中では新入社員への「みそぎ研修」としてやっているというのを聞きます。その場合、そういう会社自体がカルトだということ。必ず上の体質がクレイジーだということなので、遅かれ早かれ自分の精神が病んでしまう前に退散した方が身のためです。

 私は、今もだけれど昔もかなり適当なだらしない性格だったので、父親から「お前みたいなヤツは自衛隊にでも(この言い方失礼!)入って、腐った根性を性根から叩き直してもらえ!!!!!」とよく言われてました。ウチの父親は普通はありえんことでも素でやってしまう恐ろしさがあったので、ホントまじで自衛隊入れられるのではないかと思ってました。その頃新聞の下段広告によくドーンとあったのが「地獄の特訓」の広告。父親がこれ見たら自分が知らない間に申し込まれているのではないかと、書かれてある参加者のコメントと行軍しているようなイラストをじーーーーっと見ていたものでした。これも自己啓発セミナーの流れのはずと思い、中に出てくるのでは?期待していたらありました。1979年6月、死人まで出したそれまでのセミナーの流れから入れ替わるように出て来たのがこの「地獄の特訓」。行軍しているイラストは、確かに真夜中の山道を40キロ歩かせていたそうです。しかし、それまでのセミナーと比べたら自我が崩壊する危険性が少ないので子どもだましのようなもの。それでも当時はこの広告は恐怖でした。

 その後、セミナーの流れはマルチ商法(昔でいう「ねずみ講」)と合流していきます。「ワンワールド・ピープル」を実現するためのシェア(分かち合い)とエンロールメント(勧誘を意味するセミナー用語)、85年度からは東京都消費者センターの項目に「自己啓発講座」が追加されてます。

 かなり昔だけど一時はまって買っていた、こういったカルト系の書籍。この1冊でマイブーム再燃です。しばらく継続して読むかもしれません。
 
 
 

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本:コンビニララバイ [Book]


コンビニ・ララバイ「コンビニララバイ」
池永 陽著 集英社刊

 2002年6月初版発行、おそらく朝日新聞だと思うけれど、北上次郎さんが書いた新聞書評を取ってあって、いつか読もうと思ってました。図書館で借りてきて、今ごろになってやっと。北上さんは作家:椎名誠さんと一緒に「本の雑誌社」を創刊した人、私の中では「目黒考二」の名前の方が通りがいい。

 文庫のカバーはまだいいけれど、こっちのハードカバーの方の装幀の古くささはちょっといただけない。意図してこうなったんでしょうか、、、。2002年?その当時の書評ではすこぶるいいことが書かれてあって、そこで褒めすぎていることもあってか、Amazonレビューではかなり厳しいことを書かれてます。全7話「にぎやかだけれどドライなコンビニ」が舞台で各話かなりウェットな人間関係が書かれ、1話1話きちんと心に響きます。確かにTVドラマ風の演出っぽくなくはないけれど、、、この1つの話を1時間ドラマにしたら丁度いい感じです。

 おそらく賛否が分かれるところが、必ず出てくるのが様々な大人の性(SEX)のこと(注:コンビニの中でセックスしてしまうのではない)。私はまぁ、これはこれで普通にアリだろうと思うのだけど「なんでコンビニをとりまく話でセックスの場面が必ずあるの?」と思う人は、この本の評価はかなり低くなるでしょう。そういう大人のセックスが許せるとなると、若者より上の人たちなのかも。評価は二分する可能性「大」だな、と思いましたさ。
 
 
 
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本:銃に恋して - 武装するアメリカ市民 [Book]


銃に恋して―武装するアメリカ市民 (集英社新書)銃に恋して - 武装するアメリカ市民 -
半沢隆実著 集英社新書刊

 アメリカ人の中にある日本人には理解できない感覚。スプーンフォークを買うのと同じような感覚で銃を買い、それに対して何の疑問を持ったこともないということ。何にも干渉されず、自分の身は自分で守るという国のあり方と、それには銃が必要だという理屈。銃というのは殺傷殺人の道具であるけれど、自分の権利を守るためには相手を殺すことも正当化される。銃が安全・安心をもたらすのだというすり込みはここをうまく利用し洗脳しているのが、全米ライフル協会(NRA)などの銃権利擁護派。すでに政治的圧力まで手に入れているので、自分たちの思うがままにアメリカを動かすことができる。日本からしてみたら異常な事態も当のアメリカ国民は何とも思っていない。相手に対して圧倒的優位性を持つ銃に対しての高揚感に疑問も感じなく、子どもですら実弾でのライフル射撃をゲームセンターに行ってプレイする感覚でやっている。

 「神は武装を認めるか否か」、キリスト教の平和主義思想と現実との折り合いは「神は暴力を憎んでいるかもしれないが、銃は憎んでいない」というのが銃の権利擁護派のロジック。憲法修正第二条「アメリカには憲法で保障された自衛の権利がある」と明記され、必要な場合の発砲は正当であると。「犯罪者を憎んで銃を憎まず」という擁護派のスローガンを、政策レベルで忠実に実現したのがブッシュ。フロリダ州やテキサス州で法律化された「銃を持った人間が自分に危害を加える怖れがあると信じる状況があれば、問答無用で射殺しても構わない。民事事件でもその責任を問われない。(キャッスル・ドクトリン法)」NRAなどの銃権利擁護派の言い分は、相手が武装している(銃を持っている)と思うと、下手に暴力を振るう訳にはいかない。怒らせないように丁寧な態度や言葉遣いになり、銃のある社会は礼儀正しい社会になるのだと。かなりクレイジー。

 3000円程度の、日常生活品と同じような感覚で買える安物の小型拳銃を「サタデーナイトスペシャル(SNS)」と言うそう。土曜の夜に多発する事件で犯罪者が好んで使うことからこの名前が使われているらしい。銃に関しては消費者安全基準がないので、こういう粗悪なジャンクガンよりも、おもちゃの銃の方が厳しい安全基準に基づいて製造・販売されているという皮肉な現実が。

 連邦に登録した業者は厳しい規制や監督を行政機関から受けるが、一般のコレクターは対象外。この例外規定が違法な銃取引の抜け穴となっている。個人的な銃コレクションをする一般市民には、ビジネスや営利目的でないので各種の規制対象にはならないというのが建前となっているが、犯罪に使われている銃の約3割が、全米各地で行われている銃の展示即売会(コレクションの売買)ガン・ショーで手に渡ったとされている。相手の素性には関与しないというのがこの展示即売会のセールスポイント。個人的な自分のコレクションとして展示会に出すため、業者も面倒な正規の手続きをスルーさせて売ることができる。このブラックマーケットで取引された銃はどう渡っていったのか政府は全くわからない。

 2003年の映画:ボウリング・フォー・コロンバインで言っていたのが、隣のカナダとの比較で、銃が生活に思いきり入り込んでいても犯罪は起こらないこと。問題は銃があるのでなく、社会のあり方に問題があると。日常は恐怖であふれていると放送し続けるマスメディア、そう洗脳して銃で儲ける人や企業がある限り米社会では銃はなくならない。ガンコントロールが必要なのでなく、マインド(精神)をコントロールしない限り銃での死者は減らないのだと。カナダとアメリカの最も違う点が全米ライフル協会などの銃権利擁護派などの圧力団体の存在なのでしょうね。

 もはやアメリカが銃なしでいくのはあり得ない。
 
 
 
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本:世界屠畜紀行 [Book]


世界屠畜紀行「世界屠畜紀行」内澤旬子著 解放出版社刊

 前記事の「映画:ブタがいた教室」、卒業時に食べるという前提で飼い始めたブタのPちゃんだけれども、「食べない=殺せない=次のクラスに引き継ぐ=問題から逃げて次のクラスにこの問題を解決してもらう」「食べる=自分たちが飼い始めたのだから自分たちでこの問題をきちんと収める」という両者のせめぎ合い。食べれないという人たちは食べるという人たちに向かって「Pちゃんを殺すの?」と言う。

 第2章のインドネシアのバリ島のところ書かれていたこと。「殺す」というのは悪い言葉で、動物を食べることは悪いことではなく「殺す」という言葉は使わないのだそうです。それに当たる言葉は「ポトン=切る」という言葉。食べるために動物をつぶすことを「良いこと」、神様にささげそれをいただくという意味だと。

 本の中盤は東京・芝浦屠場での話。芝浦屠場は以前に岩波新書から出ていた鎌田慧著「ドキュメント屠場」で既読、しかし今回のこの本はそれを上回る程の内容。賭場では動物を食肉として出荷するまでの工程を引き受けている訳で、そのスピード・プロフェッショナルな技術たるや「職人」という言葉以外見つかりません。東京の牛・豚の肉を一手に引き受け、屠畜という一切をそこで行っていることで、私たちには見えない訳です。そのことが自分たちのために命を捧げてくれているいう意識が薄らいでしまっている。「肉=パック詰めの形」としか思えないのも無理もない話なのかもです。映画の中でも卒業近くなったある日の食卓で、家族から「あのブタどうするんだ?食べるのか?」と言われて困る児童、だけれどもその目の前にはハンバーグがあってそれを食べている。その肉は生きていた動物であって、それを食べているんだよね。日本の中で、動物を自分のエネルギーとしていただくという言葉がない。無益に殺すということと同義になってしまうのでPちゃんの問題にしても「命を大事にしない」ということと同じになってしまう。インドネシア・バリ島のポトン「切る」という解釈が日本にないため、今回の映画Pちゃんの問題はどこまでいっても平行線のまま。「動物を食べるということ=かわいそう」というのは何か違う。自分たちも肉を食べて生きているということをどこか棚に上げている気がする。

 第12章:動物の立場からでは、京都霊長類研究所の上野吉一准教授の話が載っています。本の中のイラストから、あれ?もしかするとあの人か?と思ったのが当たり。2008年11月16日「情熱大陸」の東山動物園企画官の方でした。名古屋市東山動植物園の再生計画のため、研究者からの転身で注目を集めた方。専攻は「動物福祉」、この本の章では、屠畜を動物の側からどうなの?ということを聞いています。上野さんの言葉で「きっかけは『かわいそう』でもいいんです。でも『かわいそう』だけで動くとすべてが抜け落ちてしまう。必要なのは科学的・客観的な理解なんです。(中略)動物を食べること、使うことが正しいかどうかを考えるのではなくて、『食べ方』や『使い方』を考え直すことこそが、動物に対する責任として、今求められているのではないでしょうか」

 第6章:モンゴルから、モンゴル学と仏教学を専攻している研究者の金岡秀郎さんの言葉では、「(前略)あらゆる命は別の命、ほかの生物のエネルギーを奪って生きている訳です。羊だって草を殺しています。そしてあらゆる命は自分から死んでくれないわけで、手を下さなければならない。それを許さざるを得ないんです。ただし、奪ったことへの感謝の念を持つこと。こんなつまらない自分を生かすために、たくさんの命を奪って申し訳ないという気持ちを持たなければ罪になる。これが仏教が示したギリギリのところだと思います」
 
 
 以前からこの本は評判は聞いていたけれど、読んでみてすばらしく内容が濃く、ものすごいボリュームだということを再確認。定価2200円、よし買おうと簡単に言える価格でないけれどそれに見合うだけの価値あり。絶対手元に置いておきたい1冊であることは間違いないです。人気がある本だけに、Amazonのマーケットプレイスでも1800円は下らないのがねぇ。2007年7月1日の情熱大陸に出ていた時には、確か食肉業者に対しての講演や屠畜の現場まで出てましたよね、放送をDVDに焼いてあるのでもう1度観てみよう。
 
 
 

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本:一日一生 [Book]


一日一生 (朝日新書)「一日一生」 
 天台宗大阿闍梨 酒井 雄哉著 朝日新書刊

 2008年12月の新聞書評を読んでしばらく探してました。佐世保では朝日新書自体の販売ルートが弱いのか?扱っていない書店もあるし、この本も売り切ればかり。しばらく探していて今年になってやっと手に入れました。その後佐世保市内あちこちの書店でみかけます。

 丁度この本を探していた時は、私が転職で揺れ動いていた時期(2/1より新しい職場に変わります)で、何かにすがるようにこの本を求めていました。前の仕事に対しての不満はなかったし現場の人間関係もすこぶる良好、でも人事や経営をしている上(上司より上)の人たちがアブノーマル、その勢いが加速して遅かれ早かれ会社がジリ貧になるのは目に見え、退職者の数が加速していること。監査の状況によっては一気にダメになる可能性もあったので、私も転職という方向に向かったのです。現場の人たちとの人間関係が一番後ろ髪引かれるところでした。が、去った人たちで「退職者の会」を結成しようというところで一安心となりました。

 本来集中してするべき仕事以外のところで感情が揺さぶれる毎日、正しい生き方考え方は何なのか?、ネガティブな気持ちのどこかにひっかけながら翌日も仕事で、明日・一週間先・一ヶ月先・半年先は自分はどうなっているのだろう?というのが想像できない(雇用不安)。心の奥底にトグロを巻くドス黒い気持ち、こういう俗世にまみれた感情をリセットする意味で読ませてもらいました。一日一生、今日の自分は今日でおしまい。明日はまた新しい自分が生まれてくる。明日はまた新しい自分が生まれてくるじゃないか。大事なのは「いま」。何をしているのか?「これから」何をするのかが大事だと。仏さんから見ればみんな平等。自分の身の丈に合ったことを、毎日毎日、一生懸命やることが大事なんじゃないの?

 一つ一つの言葉が、すーっと胸に入っていきましたよ。とりあえず自分は自分。周りから要求されるレベルとの差はあるかもしれないけれど、背伸びせず今の自分100%で行くだけですね。今日の自分を100としたら、後は日々の努力で101に102にしていくように心掛ける。それでだけです、明日もまた頑張ろう。
 
 
 

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本:新宿駅最後の小さなお店ベルク [Book]


新宿駅最後の小さなお店ベルク 個人店が生き残るには? (P-Vine BOOks)新宿駅最後の小さなお店ベルク 」
 井野朋也(ベルク店長) 著  ブルース・インターアクションズ刊

BERGーJR新宿駅東口から徒歩15秒のこれ以上ない超好立地にある面積15坪の飲食店。驚異の低価格、驚異のウマさを売りに1日1500人が訪れ、老若男女多くの客に愛されている。
 
 
 ベルクを知ったのは2008年10月5日(日)朝日新聞書評欄で、ビジネス書としてこの本が紹介されていた時に初めて。ちょっとこれは面白いかも?と思って切り抜いて保存していたけれど、なぜか先月から突然読みたくなってですね。当然というか佐世保ではどこにも置いてない。ちょっと実際手にとってみてからかな?と思い、今月25日にやっと福岡で買ってきました。
 
 一気読みでした。帯には「文句なく1位!」と書いてあるけれどホントに文句なく面白い。もっと早くこの本を知っていれば!と悔やまれる程です。みんな読んでおくれ。10年程前、私が東京に住んでいる時は新宿駅には毎週遊びに行っていたけれど、正直ベルクの存在は全く知りませんでした。その頃は私はまだ20代、知っていてもベルクを通り過ぎてその先に行ってしまったかも?今だからこそベルクの良さがわかるのかもしれません。ここの食材原価率は42.5%というクレイジーな数字(外食チェーンで25%前後)、50%を越える時もあるという。それを新宿一等地という好条件を使い高回転(薄利多売)で利益を出すというそのすごさ。高回転で売り切ることができるからこそ、保存料や人口調味料を使わない正直な食材でもガンガン使えるということです。安かろうマズかろうでは流行らない。「自分が毎日食べられるものを」これが店で出すものの基準だそうです。コーヒー1つでも同じ金額ならばズバ抜けてベルクの方が質が高いということです。あの店に行けばオイシイものが安く食べられる、これがこの店が愛される理由ということですね。ソーセージ、コーヒー、ビール、パンetc...ベルクで食べたくてしょうがありません。次に東京に行った時は必ず行きます!待っていてくれ。
 
 このベルクはこの場所だからこそ成り立つ商売。これをモデルに佐世保でやろうなんてのは無理な話。この本がこれだけ支持されるところは、個人店が商売をしようとする時に忘れてはいけないエッセンスがちりばめられているから。簡単に言うと、経営が成り立つのが前提だけど「一儲け」しようとして始めたら失敗するのだということ。TVを観ていると確かに流行っている個人店には「お客に喜んでもらいたい」というのが根底にあるようです。これが成功のセオリーだと外食業コンサルタントの方が解説に書いてます。
  
 しかし、このベルクが立ち退き問題に合っています。新宿駅の駅ビル「ルミネ」のB1にあるのだけれど、ルミネ側から追い出そうとしています。どうもルミネのターゲットは20代前半の洋服を買う女性。それに合わないからみたいです。食品売り場も本屋もニーズがあったらしいけれどそれも追い出してます。追い出す理由、ルミネの答えは「それがルミネです」(笑うねこれ)と。。スタバでさえ1階にあったのを2階に移動させているみたいですよ。1階にあると20代前半の洋服を買う女性以外の客層まで利用するからって、すごいですねこの理屈。ベルクは最初に交わした契約書で、自動更新で営業権が守られる昔の形だったので今まだ営業ができているのだそうです。ルミネ側が再契約をしたいといってきた内容では、営業権は放棄してオーナー側の判断でどうにでもできるのだと。とにかく頭の悪い人間が力持つとこうなるんだろうなと思います。
 
 
 久々力の湧く本を読みました。しばらく他の本を読めないかも。
 
 
   公式サイト:BERGへ行こう
   http://berg.jp/map/map.html
 
 
 
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本:平成宗教20年史 [Book]


平成宗教20年史 (幻冬舎新書) 平成宗教20年史
 島田裕巳著 幻冬舎新書刊
 
 
 2007年に出版された「日本の10大新宗教」の続編。続きを書いているというのは聞いていたので、「まだか?まだか?」と待っていたら、ちょうど1年。キターーー!宗教ごとに章立てして、その中での変遷を書いてあった前作と変わって、今回は平成元年から1年ごとに章を区切って「平成宗教」全体を書いてます。

  前記事
  本:日本の10大新宗教(2008-01-01)
  本:日本の10大新宗教(2)(2008-01-12)

 新しい宗教が勢力を拡大するのは、人間が本当に苦しい時ではなくて、経済的に豊かになっている時だそう。余る金を吸収して拡大していく。歴史的にも宗教が余った金を吸収する役割を果たしてきているのだと。「多額の金を儲けた人間には、どこか罪悪感がつきまとう。宗教に対して寄進することで、その罪悪感を払拭しようとするのが人間の性なのである。」

 前作で書かれなかった「統一教会」、私が予備校に行っていた時に日本史の先生が「大学に行ったら原理研究には気をつけなさい。大学に行っていると思ったら洗脳されて街角に立つようになっていて、親が説得しようとすると "サタンよ立ち去れーーーー!!!" と言うようになる。とにかく原理研究には気をつけなさい。」と事ある度に言ってました。この原理研究会=統一教会、このことが本の平成4年の章に。最初、統一教会が注目されたのは、昭和40年代はじめのことだが、その時代には「親泣かせの原理運動」と呼ばれた。大学に入学した子どもがいつのまにか原理研究会に入ってしまい、親の期待とは異なる道を歩んでしまうからだった。平成5年の章にあった、統一教会などの脱会カウンセリングにあったっていたスティーブン・ハッサンの「マインド・コントロールの恐怖」(恒友出版)、これウチにあったはず?実はちゃんと読んでないけど。探してみよう。

 オウムの事件前、宗教法人法改正前は、宗教活動をするための宗教施設がある団体が、実際活動を行っている場合に所轄官庁に届け出て宗教法人として認証される仕組みだったと。認証であって認可ではなく、場所があって活動実績があり届け出をすれば宗教法人を名乗ることができたというのが驚き。しかし、平成8年9月15日から改正宗教法人法が施行され、透明性を確保する方向に。

 私的には10大新宗教で入らなかったモノを、また同じように書いてくれて良かったのだけど、これはこれでおもしろかったですね。歴史を年代順に追っていかないと見えてこない部分もあると思う。ただ、宗教についてこの本で何がわかったのか?と言えば、ぐちゃぐちゃになってよくわからない。次回、もう1度前作スタイルに戻って今度は「日本の(10大)新宗教2」を出してくれませんかね。
 
 
 
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本:悪人 [Book]


悪人 吉田修一著 朝日新聞社刊「悪人」

 良かったです、この本。すぐ図書館に返してしまったので記事のディティールが弱いのだけど、、、

 読み始めてすぐに思ったのが、なんか文の感じが違うと。初めて読む作家というのもあってか文章の雰囲気に慣れないこともあり、最初の50ページまでは変化が少なく正直ちょっとだるかったです。が、そこから一気に引き込まれます。帯にもあったように、その全体を上から見下ろす視点は全くありません。つねにすぐそばで地に足をつけて見ている、その視点があちこち場所を変えつなぎ合わさってきます。同僚が突然峠で死体で見つかるという状況、ほんのすぐそばで自分も一緒に巻き込まれているかのような文章です。おそらく自分の身に振りかかったらこういう感じになるのでしょう。

 舞台は九州、事件の現場となる三瀬峠は隣の佐賀だけれど通ったことなし。本を読む限りできるだけ通りたくない感じです。九州の地図を開いたらこりゃすごい、これは通りたくない。いわくつきの場所というのがわかる気がします。
 
 冒頭文中に出てきた、たった数行の新聞記事には、この本の中に書かれてあった内容は全く含まれてないわけです。単純に悪いのは人を殺した男。しかし、それでいいのか?と。前に読んだ「嫌われ松子」もそうだけど、起こった表面上だけで短絡的に物事を判断するのは非常に危険かも?と思ったりします。裁判所での判決なんかはこの本に書かれてあるくらいまで事実を調べ上げた上で、情状酌量の余地ありとか判断しているのでしょうか?

 この本の中で「いったい一番悪いのは誰なんだ??」と、、、。おそらく死んでしまうはずの峠で女性を車から蹴り出した福岡の男性、助けようとしたが結局女性を殺してしまった長崎の男性、助けてもらえたはずなのにプライドが邪魔して殺された女性、一気に形勢が変わっていくのが後半。そのために犯人がわかった後にある膨大なページ数が用意されている訳です。読んでいるうちに、犯した罪の形でなく人間性で「悪人」という意味を考えてしまいます。読後、頭がグルグル回りますね。
 
 最後の方で心に残った言葉、 p397「今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎったい。大切な人がおらん人は、何でもできると思い込む。自分には失うもんがなかっち、それで自分が強うなった気になっとる。失うものもなければ、欲しいものもない。だけんやろ、自分を余裕のある人間っち思い込んで、失ったり、欲しがったり一喜一憂する人間を、馬鹿にした目で眺めとる。そうじゃなかとよ。本当はそれじゃ駄目とよ」
 
 
 

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本:嫌われ松子の一生 [Book]


嫌われ松子の一生 幻冬舎刊 山田宗樹著「嫌われ松子の一生」

 昭和・女版の「嫌われ松子の一生」と平成・男版の「ジバク」(記事ここ)、両方読みました。ジバクも面白いと思ったのですが、それ以上に松子の方がよかった。深かったです。女性の方がいざという時に肝が据わるのでしょうね。「落ちてしまったものはしょうがない、そこから前を見るしかない」と。しかし、男性の方は過去の栄光にすがるというか、「本当の自分はこんなんじゃない」とずーっと思っている。煮え切らない。この二冊の評価の差は、そこにベースがある気がします。

 最初から校長先生のレイプ。先生だった松子の人生の歯車が変わったここが、読んでいて正直一番キツかった気がしました。沸々とわき上がる怒りの感情、今の自分の立場とダブるところがあったのだと思うのです。その後何度も「えッ!!」とハンマーでガーンと叩かれたような展開が。そうなるともう虜ですよ(笑)。

 読みながら、何が「嫌われ」なんだろうとずーっと思ってました。最後読み終わるまでこれだ!というのはなく、松子なりに生きていく選択の結果が、社会的には褒められたものではなかったということ。それが親族からは疎まれる存在になってしまった。この小説で私たち読者は松子の生きた証を追体験するから何で嫌われ者なの?と思うけれど、「あの人あんな人だから」とアウトプットされたものだけで判断しようとするとそうなってしまうのですよね。
 
 一番ズギューンときたのがp350の下段、「気がついた。俺はまだ、松子伯母が最初に躓いた年齢にも達していない、、、、、、松子伯母のほんとうの悲しみも、人生のことも。」そうなんだよなと。この先自分の人生がどうなっていくのか、自分の人生なのに自分でもわからない。どうしようも対処できない波にのまれることもあると思う。いろんなことを考えたけれど、この文中にあった「死ぬまでのその時間とどう向き合っていくか。」、この言葉ですべてが集約されている気がします。実際これが人生なんだと。 

 丁度TSUTAYAの半額レンタルだったので、映画版:嫌われ松子も借りてきました。しかし、あの小説の内容量を130分に集約するのは不可能に近いはず。松子の生涯のダイジェスト版ですかね。小説とは違ってかなり原色派手な印象ですよね、、、これから観ます。

 小説があまりに良かったので手元に置いておきたくなり、Amazonで買いました(最初図書館で借りて読んでます)。中古でいいと思ったのでマーケットプレイスで。ハードカバーが価格1円でかなりあって、その中から美品と書かれてあるものを購入。価格がそこまで落ちているというのはそれだけ売れた本ということなのでしょう。送料が340円どうしてもかかるのはしょうがないけれど、送料込みで341円!いい買物でした。
 
 
 
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フェイク・スイーツ [Book]


フェイク・スイーツのかわいい小物かわいいフェイク・スイーツのつくり方

 「NHK 東京カワイイ★TV 9/3(水)TOKYO発★お菓子モチーフ最新事情」を録画していました。だいぶ前からガチャポンでドーナッツのストラップとか結構見かけるけれど、「何でドーナッツ?」と気になってました。番組では、インタビューした女の子が持っているミラーの裏面が全部スイーツだったり、ネイルがスイーツてんこ盛りだったり(こんな爪では何もできない)、ギャルの間ではお菓子モチーフが流行りだったんですね。小さい頃から食玩が好きだった娘は番組を食い入るように見つめ、「あー!これ欲しい!!」と。この小さなスイーツアイテムに完全にイレ込んでしまいました。さすが、番組に出てくるデザイナーズブランドはスイーツのレベルも違います。かなりすごい。これは消さずに保存しておこう。

 当然のことながら携帯電話にもスイーツ・デコ(「盛り」と言うのかい?)をするみたいですね。最近市内(佐世保)にできた携帯カスタムの店にもスイーツ系があったみたいで、娘は通りから見つけた時は「パパほら、スイーツ!うわー!いいなーあれ!」と。

 娘よ、買ったら高いので自分で大量に作るのだ。(笑)

 ドールハウスの小物の作り方のムックが2冊ほど買ってあったので(作ったことナシ)、以前娘が食玩ブームだった時には、屋根裏から引っぱり出してきて「これ見て作ればいくらだって増やせるよ」「今度作ろうね」と言ったきり。今回も「ミニスイーツなんか自分でいくらでも作ればいいじゃん」とこの2冊を買いました(笑)。この2冊がAmazonで評価高かったので。今回も気合い入れないとまた作らないで企画倒れの可能性が極めて大。作るとしたら年末年始の休みの時にハマってやるしかないか。それまでに何を作るために何をそろえるのか検討しておかないと。しかし、それまでこのモチベーションが続くのかが問題だ。

 これ作って何するんだ?という疑問はつきまといます。うーん、写真を撮るくらいでしょうか??何かの時に娘がプレゼントに使うくらいかな??



本:魔女図鑑(絵本) [Book]


魔女図鑑―魔女になるための11のレッスンMalcolm Bird (原著)「魔女図鑑—魔女になるための11のレッスン」

 先日娘が図書館で借りてきた絵本、えらく気に入ったみたいでした。図書カードを使わずに大事に持っていたので、それで買ったら?と言うと「買う!」と。ネットで注文できて送料無料、速効到着して図書カードで支払いできるのはe-honしかない。今日くまざわ書店に到着し、娘が自分で受け取りしました。小さい頃こんな本があったらうれしかったでしょうね。ドキドキワクワクしたと思います。空想の世界にどっぷり浸れたでしょう。チョーおすすめ。

 昨日眠る時にふと思ったのが、「魔女って何?人間じゃないよね?」と。趣味も嗜好も全くおかしくなったイカれた女の人のイメージだけど、ほうきで空飛ぶということは人間ではないはず。「魔女=魔法使いの女」?、西洋では何なの?悪魔の類い?私の中で一番近いイメージは日本でのカテゴリだと幽霊ではなく「妖怪」。ふと、ハリーポッターのような魔法学校に行く時には「お父さん、ボク人間をやめて妖怪になりたいのだけど。将来なりたい職業は魔法使い。」そりゃ両親ドン引きして猛反対だわな(笑)。魔法学校ではどこかで人間をやめる手続きをするはずです(笑)。そこら辺は生理的に拒否する生徒もいるはずなので、うまくカリキュラムに取り入れて洗脳しているはずですな。

 翌朝、広辞苑で調べてみると、
 
 
まじょ【魔女】(1)ヨーロッパの民間伝説にあらわれる妖女。悪魔と結託して、魔薬を用いたり呪法を行ったりして人に害を与えるとされた。
(2)悪魔のように性悪な女。また不思議な力をもった女。

まほうつかい【魔法使い】魔法を使う人。

まほう【魔法】魔力をはたらかせて不思議なことを行う術。魔術、妖術。
 
 
 おー!「魔法使い」と「魔女」は全く違うということか!ハリーポッターの魔法学校では人間はやめないということですね、よかったね。そして、「魔女っ子メグちゃん」と「魔法使いサリー」は別のカテゴリだったとは。メグちゃんは悪魔に魂を売ってしまっているだけに根性入っているということでしょうか?おそらくお互いひと括りにしてほしくないでしょうね。サリーちゃんの方は自分で魔法使いと言うだけあって、相当たくさんの魔法が使える自信があるということ。「定食屋」なのに野菜炒めと焼き肉定食しかできないのでは定食屋とは言えないですもんね。決定的に違うのは魔女(メグちゃん)は、わからないように薬をもったり、呪法「呪い」がかけられることなのかな。闇の仕事人の雰囲気がします。
 
 わけわからんこと書いてるけど、これでおしまい(笑)
 
 
 
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本:ZOKUDAM [Book]

ZOKUDAM 森 博嗣著 光文社刊「ZOKUDAM」

 読んだ本は必ずブログに書いている訳ではなく、10冊読んで書くのは6〜7冊、つまらんモノや感想もなくどうでもいい本など、ここに書かない本は大体途中で読むのを止めてます。このZOKUDAMも途中まで「これはちょっと、、、」と思って書かないつもりでしたが、真ん中くらいからなんかハマって最後まで読んでしまいました。でもね四文字熟語の羅列はいらないですよ、全部スルーでした。

 名前からガンダムを連想しますが、読んだ印象はちょっとリアルなヤッターマンのような感じ。敵(か??)のロボット名はTAIGON、まるまるのキュートな姿みたいです。ハードカバー表紙から「ZOKUDAM VS TAIGON」というロボット同士の戦闘を期待しますが、ただひたすら毎日準備でこれといった盛り上がりもなく、ただずるずるとその時を待って、さぁ!というところであれ?と終わってしまいます。逆に地下で鬱々と散々待たされたので、ラストがかなり気持ちいいです。小説としたら相当の肩透かしですが、どうもこの人の持ち味のようです。

 ZOKUDAMは地下で作ってあるけれど、地上に出す前に隣の練習する場所へ移動するだけでも分解組立に3週間。どこかに移動するだけで3週間かかり、そのため連日の会議(笑)、しかし敵のTAIGONもしかり。市街地や他人の土地を自立で歩いて行く訳にもいかず、バラすしかないのですね。操作だって簡単にできる訳ではない、ひたすらマニュアル熟知に徹します。それからやっと搭乗して基本動作の練習。レバー1本でビャーと動くアニメがあり得ない訳で(ZOKUDAMもあり得ないけど)、相手の攻撃をかわしながらこちらから攻撃するなどの複合動作では、マニュアルの複数箇所を同時に行う訳で、複合作業でエラー頻発し、その難しさに閉口するのです。「一ヶ月前の自分と闘ったら圧勝できると思う。相手がもし私たちよりも少し早く開発に着手していて、時間をかけて訓練していたら、もう勝ち目はないってことにならない?」と。なるほど、、、

 この小説を説明する時、なぜロボットを作って闘わなくてはいけないのか?と問いてみたら、それはF1のようなものじゃないかと。どっちが正義でどっちが悪で、相手を叩きのめすというよりも、これは技術競争なんですね。相手がいるから自分がいられる。闘う相手がいなければ自分がロボットを作る意味すらなくなる、仮想敵では無意味な代物です。人件費や開発費も含め、それはもうウルトラ莫大な費用がかかっているため、それを捻出する企業があって、これは企業同士のテクノロジー合戦です。相手の秘密基地がわかっていてもそこは攻撃しないなどの暗黙の了解があるようなので(協定があるの?という問いに「鋭い」と書いてます:笑)、トップサイドではシナリオができていて、あくまでも技術勝負。それに従って最後は対戦へと向かいます。しかし!、そこで話は終わり。なかなか含蓄のある文が含まれているので、結構なリアル感が味わえます。が、ヤッターマンなんですよ(笑)。

 「ZOKU」に続く「ZOKUDAM」、これに続くシリーズ3作目が連載中だそうなので(どこで?)、出版されたら読みたくなるんでしょうね。
 
 
 
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本:遭難、 [Book]


遭難、本谷有希子著 講談社刊「遭難、」

 佐世保のくまざわ書店の店頭には置いてありませんでした。速攻読みたかったけど、Amazonで頼むと1500円以下は送料がかかるので(遭難、¥1300)、書店受け取りにしてネット書店のe-honで。これならば文庫1冊でも送料なしで早く手元に届きます。中身を確認せずに頼むのはちょっと勇気がいったけど、この人のなら間違いないだろうと。Amazonのレビューで「トラウマ」を逆手に取った発想と書かれてたけど、どういうことなんだ?ということが読んで納得。面白いです。戯曲なので舞台の台本と同じ。この作品で第10回鶴屋南北戯曲賞を受賞。場面は臨時に設置された古びた職員室のみで5人の登場人物で構成されてます。しかしセリフの多いこと、役者はホントすごいということを実感ですよ。作品は、ほぼセリフだけで書かれているのに、これだけ情景が浮かぶのはスゴイことです。

 あとがきにあった「性格の悪い女の人が書きたいなー」で生まれた、この作品に登場する先生の里見。自分を守るためには相手の弱点を探し、なければ捏造する。私がそうさせているのはトラウマのせいだとし、その裏には「本当の私は善人だ」という無言の訴えが見えている。

 「トラウマ」は科学的立証されたものでなく、フロイトが作り出した概念。フロイト学派はトラウマというものを用いて説明するけれど、以外では当然使いません。先日ある所でちょっと聞いて「ほー!」と思ったのが、トラウマは思い出して「話して共感してもらう」ことで軽くなっていくのだそうです。軽くなることで忘れ過去の物語になっていくのだと。逆説的だけど、思い返して言葉として外に出さない限り、トラウマとしてずっと残り続けることになる。その時、パニックになったり、身体症状やイヤな気分として現れるのは、自分を癒そうとする力なのだと。

 その点からすると、一番イヤな登場人物:里見は、自分がこうなったのはトラウマのせいだと言っているが、そのトラウマの話ができるということは、すでにもうそれは自分を縛りつけているものではないということ。自分のネガティブな行動の原因をトラウマに押し付けることで正当化する逃げに使っている。物語の最後、皆にトラウマを解消させましょうよということになるが、それを取られたら一連のこの行動は生まれつきで「本当の私は悪人だ」となってしまうので原因をとらないでと懇願する。

 読み込みが足りないのかもしれないですが、ラスト数ページを読んだ時に「あれ?里見がトラウマの原因になった先生との過去もすべて頭の中で作り出したけど、本人はそれを現実だと思っている虚構の世界だったの?」実はかなり精神が病んでいた感が浮かび、今まで感じていた里見像が覆された気がしました。が、トラウマを拠所としていたけどそれがなくなってしまって、最後崩壊した訳?でも「あくび」を解釈するとなると、あーあ、これもダメだったか?的なこと?最後の吹雪の音と青い光、もしかするとまた新たに自分を正当化する方法を思い浮かんだということ??

 かなり余韻を残す終わり方。全体を通して感じるのは余計なモノを一切省いてブラッシュアップし鋭くした感覚。舞台のDVDが観たいところですね。
 
 
 
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本:MM9 [Book]


MM9 以前記事を書いた(ここ)、山本弘著 東京創元社刊「MM9」、記事書いた時には佐世保くまざわ書店には在庫なかったのだけど、行くたび毎回くまざわオンライン検索でMM9をわざわざやっていたら入荷しました(笑)。どの店舗で何の本の要求度が高いのか?オンライン検索のデータを分析しているはずなので、店頭在庫がなくて検索回数が多ければ入荷するはずだと。本に関してはよっぽどのことがない限り店頭できちんと確認してから買いたい方なので、注文で取り寄せたけれど現物見たら「これならいらないです」とはいかないですもんね。なので、長崎福岡に行く予定がない場合はこの方法をよくとります。こっちは検索しているだけでオーダー入れている訳ではないので問題ないでしょう。

 このMM9、手に取った瞬間「あいた!」と。ソフトカバーなんですね、内容は読んでいいかな?と思ったのだけど、価格と比べたらちょっと買わなくてもいいか、、、と。ハチミツ日曜日に娘が図書館に行きたいというので、一緒に行ったらカウンターに「ただ今返却」の棚にありました。おー!こんなのも入れるんだ!と速攻決まり。その隣には森博嗣著「ZOKDAM」も(笑)、同じ人が借りていってますね。それも一緒に借り。

 想像以上に面白かったです。ホントにウルトラマンが出ないウルトラシリーズの世界です。SFは「いかにしてホントらしいハッタリをかますか」に尽きますね。どうリアリティを持たせるか?怪獣が人口密集地に与える被害の計算方法、怪獣を殺すのに必要な累積ダメージは体積に比例するなど、小さな積み重ねがものすごいリアリティを与えてます。一番よく出て来たのがMM、「モンスター・マグニチュード」の略で、怪獣の規模を表す単位。MM0は1トンの水に等しい体積の小型怪獣で、MMが1上がるごとに体積は2.5倍に、MM1.5は4トンの水に匹敵する体積を意味してます。

空想科学読本〈1〉 (空想科学文庫) ウルトラマンのような世界と現実との一番のギャップが、「そんな巨大怪獣が突然世の中に出てくるんかいな?暴れ回ることができるのかいな?」ということ。かなり前に出た本:柳田理科雄著 宝島社刊「空想科学読本」系を読んでいると、いかに巨大な怪獣が現実に存在するのが厳しいか、巨大な体重を支えるのが想像を絶する程大変なことかよくわかります。MM9の中に「p22 物理法則に従えば、そもそも体重が100トンを超えるような生物が地上で直立歩行できるはずがないのである。どう計算しても、骨格や筋肉はそんな自重を支えられない。にもかかわらず、MM5以上の怪獣がこれまで世界各地に多数出現しているのだ。倒されるたびにしたいの解剖が行われ、体組織が分析されているが、この重大な謎をいまだ生物学者は解き明かしていない。」こんな、怪獣は存在できないという書き込みが度々あります。著者はきちんとそこはわかっている上で、この理屈をどうこの世界に着地させるのか?そこに興味がありました。

 これをつなぐのがこの本の中に出てくるキーワード「多重人間原理」。私たちが住んでいる宇宙の他に、物理法則の異なるもうひとつの宇宙がありえる。怪獣が物理法則に反しているように見えるのは、もうひとつの宇宙の法則に従っているからだと。それを「神話宇宙」と名付け、答えが20になるような掛け算、20という結果を導く計算には何通りもあって、宇宙もそれと同じ。人間の存在を導くための式のひとつが私たちのビッグバン宇宙。怪獣の存在する神話宇宙でも人間は存在できる。結果が同じなのだから。どちらの式が正しいとは言えずどっちでもいい、宇宙には2つの過去があることになると説明しています。

 この多重人間原理により怪獣が自重でつぶれてしまわず、あのウェイトで空も飛び、口から放射能を吐くことができて、質量保存則を破り自在に大きさを変えることができる理由。だって私たちの理屈は通用しない世界の生き物なのだから。

 そんな訳わからん怪獣に対峙する「気特隊」ー気象庁特異生物対策部は大変です。怪獣は気象災害として捉えられていて、気特隊は銃の一発も撃ちはしません。気特隊の仕事は、怪獣の正体を分析し、自衛隊に有効なアドバイスを与えること。ウルトラシリーズでは怪獣を見た途端何もためらわずビビビビビと光線銃を撃つけれど、あーではないのです。怪獣を攻撃するのは、あくまで自衛隊の仕事。出てきた怪獣に名前をつけるのは「気特隊」の役目。

 全5話のうち第4話まで一気に読んだけれど、第5話で大ボスが出てくる話ではちょっと止めてしまいました。一言でいうと神の世界の怪獣(?)が出てきてしまうんですよね。なんか急にリアリティを感じなくなってですね、、、ウルトラシリーズとのイメージとかけ離れてしまいやめました。Amazonレビューではその5話目が絶賛されているみたいですが、、、
 
 
 
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本:江利子と絶対 [Book]


江利子と絶対〈本谷有希子文学大全集〉 (講談社文庫) 本谷有希子著 講談社文庫刊「江利子と絶対ー本谷有希子文学大全集」、デビュー作なのに文学大全集(笑)。
 
 
 Amazonを見ると、前記事の「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」よりもこっちの方が評価が高いようです。確かに「腑抜け、、、」の方は情景描写がしっかりすぎるくらい書かれてます。しかしそれがスピード感を落としてしまっているということを書いているのが結構ありました。私は最初に「腑抜け、、、」の方を読んだので、そのスピード感と描写が普通だと思ってました。逆にその描写がすごいと思った程です。
 
 期待度充分でこの本「江利子と絶対」を読みましたが、予想以上のスゴさに圧倒されました。入っているのは3編、ハマるか嫌悪感を持つか、感想が全く二つに分かれると思います。嫌悪感を持った人は一生忘れることができない本になるはずです。逆にハマる人もしかり。
 
 表題の「江利子と絶対」、引きこもりを題材としてこう料理するのかと、、、。ポジティブな引きこもりですよ、これでもぶっとんでいてスゲー!と思ったのだけど、あとがきを見たらこれでもマイルドに書いたとあって「え?、そうなの?」。後の2編に超期待。
 
 「生垣の女」、これはすごかった!本当にすごかった!あまりにスゴくて客観的にその場面を想像して爆笑してしまった。しかし全く笑える話でなく、完全に精神がイっちゃった女性とさえない男性の話、狂気に巻き込まれた状況なのでかなり緊迫しているはずなのだけど、その場面を頭で映像化すると爆笑してしまうのです。ページ数はたったの26ページ、しかしこのスピード感と圧倒的な破壊力に虜になってしまいました。
 
 「暗狩」、あとがきを先に見たらホラーだと。これは恐怖ですよ!この物語の中に生きてなくて感謝です!現実バンザイ!もう主人公3人が家に入った頃からは、活字に目が釘付けになり心臓がバクバクしました。途中で止められない。前2編を読んで、この人のは「大体普通ならこういうところで落ち着くよね」というのが通用しないのが分かったので、果たしてこの3人はどうなるのか。ホント「内蔵引きずり出されながら皆の見ている前で頭からガリガリ食われてしまう」なんていうことで終わるのもこの人ならアリだ!というくらい、どう展開して着地させるのか未知数。読んでいて、途中で「キエーー!」と叫びたくなりました、ほんとホラーとして容赦ありません。
 
 この本(文庫)はとにかくすごいです。読まないとわかりません。
 
 
 

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本:腑抜けども、悲しみの愛を見せろ [Book]


腑抜けども、悲しみの愛を見せろ (講談社文庫 も 48-1) 先日NHK「トップランナー」に出演の永作博美さん。番組の中で出演した映画「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」のことが少し出てました。番組の中で一番アンテナに引っかかったのがこの本のこと。著者:本谷有希子さんのは今まで一冊も読んだことなし。彼女は作家&「劇団、本谷有希子」の主催をしていること。最新刊(だよね?)は、女性のヌードが描かれていた表紙の「遭難、」。これで鶴屋南北戯曲賞をとったこと。書評でかなり評判が良いことが書かれてあったこと(切り抜いて取ってあった気がしたけど、見当たらず)、「腑抜けども、、、」は確か三島由紀夫賞の最終選考(だったか?)まで残ったもの、ということだけ頭の中にありました。
 
 
 それでも今まで読んでいなかったのは、これまで「縁」がなかったのだということ。ヴィレッジ・ヴァンガードの社長じゃあるまいし、発刊されるすべての本をチェックするのは不可能。見ているテレビチャンネルだけはわかるけど、裏で放送されている番組はわからないように、無理せず自分でアンテナを張って、それに引っかかるモノだけチェック。TVだろうが新聞だろうが、とにかく自分の目の前を通過するものは意識して整理するようにしてます。で、今回トップランナーを見て無性に「腑抜けども、、、」の原作が読みたくなったのです。今まで読むまでの決め手がなかったのでしょう。ゴロっと気が変わって速攻本屋に行って文庫「腑抜けども、、、」「江利子と絶対」を買いました。
 
 
 「腑抜けども、、、」いやぁ、かなりすごい本でした。強烈なキャラクター同士が相乗効果のドロ沼状態。あちこちのブログで「これはホラーですよ」と書かれてあったけど、この日常生活はまさしくホラーです。読んでいる時のイメージは「重い」、なんかね、夢野久作の「ドグラ・マグラ」のような雰囲気できちんとストーリーつけたような感じ(?)。名作「ドグラ・マグラ」は最後まで読んだら発狂するというふれこみで15年くらい前に読んだけれど、あまりにもイカレすぎていて上巻で挫折しました。でも、これ程奇怪な本はないでしょう。「腑抜けども、、、」は登場人物が皆イカレちゃってます。なるほど!これは皆イカレてないと成り立たないストーリーなんですよね。
 
 
 著者:本谷有希子さんのすごいところはその文章表現、無理なくスーッとその情景が浮かぶこと。このセンスがものすごい、おそらく伝えたいだろうイメージがきちんと文章で置き換わっている。それと人間が持つ負のパワー。これがこの人の持ち味なんじゃないか?と思いました。
 

 一気に読んでしまったので、次すぐ「江利子と絶対」にいきます。
 
 
 
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本:子どもの最貧国・日本 [Book]


子どもの最貧国・日本 (光文社新書 367)子どもの最貧国・日本
学力・心身・社会におよぶ諸影響
山野良一著 光文社新書刊

 ずーっと気になっていたけどやっと記事書いた!!出版されて速攻買って、かなり前に読み終わっていたけど書きたいことがいろいろあってのびのびに。妻からはまた貧困の本と笑われました。はぁー、子どもたちも含め、明るい未来はあるのでしょうか??
 
     -*-*-*-

 子どもにだけはウチの貧しさなんかを気にさせないようにと思うのだけど、周りを見ても、何かより一層生活が厳しくなる一方で、全く安心できる気配すらない。ショックだったというか、やっぱりだったかというのが、日本では政府の介入で逆に貧困率が上がるということ。運用上の問題が再三あり、児童扶養手当や児童手当などの所得分配政策、貧困ラインに陥らないようにする生活保護などが子どもたちの貧困防止のために機能できていないということ。著者は、児童虐待を予防するためには、まず子どもたちの貧困の問題に取り組むのが先決と主張しています。貧困な家庭が十分な子育てをできるように、経済的な支援を含めた具体的な家族福祉サービスを積極的に行うことがまず必要だと。湯浅誠著 岩波新書刊「反貧困ーすべり台社会からの脱出」にも書かれていたけれど(ブログ記事:ここ)、日本政府は、生活保護基準以下で生活している貧困層がどれだけいるのか公式な数字を出さないと書いています。貧困層が膨大にいることがわかってしまったら、その人たちがいることが憲法違反になり貧困層を最低生活ラインまで公費で底上げして解消する義務を負うからだそうです。足りないのは本人たちの自助努力でなくて政府の自助努力だということが明確になる。貧困層から抜け出れない人たちが努力が足りないせいだと自分で自分を責めていてくれれば一銭もかからなかったものが莫大な国家予算を組むはめになる。なので政府は貧困を認めないのだと。

 この本でも、貧困状態にある日本の子どもは、子どもたち全体の14.3%に達し、先進国26ヵ国中、10番目に子どもの貧困率の高い国。公的な支出をほとんど行わず、家族だけに頼る政策を続けてきたツケが子どもたちの貧困の増加をもたらした元凶だと。貧困を全く問題としない日本政府は、子どもの貧困率の上昇はあたかも自分たちの責任ではないかのごとく振る舞い、貧困な子どもたちのことを社会的にネグレクトし苦しめ続けていると書いてます。

 2008年10月2日の朝日新聞朝刊にあった、私の視点「最低賃金 家族を養える水準に改めよ」という投稿記事がありました。10月から発効する最低賃金の改正では「働く貧困層」問題の解決につながるかは疑問。働き続けても「結婚できない」「子どもを生めない」ことが問題の本質なのに、この点が無視されて、若年単身者の生活保護費や高卒初任給を基準として引き上げが行われる。家族を養うことを可能にする成人労働者最低賃金の議論が不可欠だと言っています。

 あとがきには「週間東洋経済」が「子ども格差」として子どもの貧困問題を取り上げたことがちょこっと載っています(5/17号)。普段は買わないのだけど、この号は6月に東京に行った時に紀伊国屋書店で買ったのでした(東京はバックナンバーでもすぐ買えるのはすごいと思いましたよ)。この特集はものすごい量で、読むと暗くなることだらけです。簡単に言うと「親の所得の格差=子どもの格差」。高校進学率97.7%だけれども公立高校ですら驚きの高学費。このご時世、授業料滞納問題が噴出しています。逆に小学校「お受験」で年間350万使う親もいるのだと。子どもの数が少なくなってきているのだから、世界に通用する大人にするための教育システムってできないものでしょうか?今の状態では、子どもが勉強したいなら高校大学と進ませてあげたいけど、ウチは払えませんよ、、、

 著者が最後に言っている、今年が「子どもの貧困問題発見・元年」になればいいと本当に思います。親の収入とは切り離したところで、子どもの教育の機会を保証してほしいものです。
 
 
 
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